ポジティブになる方法

ものの見方を変えるアプローチ

 

認知的アプローチとは、

 

歪んだ内的規範(人の内面で判断・評価・行為などに影響を与える規則・規準)に基づいた不合理な思考のパターンを治すために、この歪んだ思考(認知)を改変する作業のことです。

 

認知的アプローチでポジティブになる

創始者のアルバート・エリスは、問題の根源は “思考” であり、
心(感情)は、思考(考え) によると提唱しました。

 

例えば、
前にみんなに笑われたことがある教科だ → イヤだな・・・
ここは前にも来て気持ちよかった      → 楽しいな♪

 

という風に、考えが感情の先にあるというものです。

 

そして、その感情が引き起こされるとき、それが不合理な思考、つまり、おかしな受け取り方
なっているとき、ネガティブになったり、悩みが引き起こされる、というものです。

 

おかしな受け取り方とは、すなわち、根拠のない“非論理的” と言い換えます。
その思考が、正しい状態の “論理的” か、間違った状態の “非論理的” の見分け方は、

  1. それは、事実に基づいているか?
  2. それについて観察や説明することができるか?
  3. 道筋が通っているか?

で検証することが出来るといわれています。

 

例として、
事実 : 大好きだった先輩に振られた

論理的な思考   : “先輩には” 好かれなかった 
非論理的な思考  : 私は魅力がない、ダメ人間だ

結果 : 
論理的な思考  → 悲しいけれどまた次の恋が見つかるわ (ポジティブ)
非論理的な思考 → 私なんかダメだ、もう誰にも愛されない (ネガティブ)

 

となるわけです。

 

思考が歪んでしまう理由

思考が間違ってしまう理由により、ネガティブになりますが、思考が歪む理由は、次の6要素が考えられます。

  1. 他人に暗示をかけられてきた
  2.   第三者から言われたことを信じて、それが真実だと思い込んでいる。
      例えば、「あなたはモテない子だね」 とか 「ひとりでは何にも出来ない子だ」などの
      言葉(暗示)によって、実際は魅力的な外見をしていても、自分をそう思い込んでいる状態。

     

  3. 「こうでなければならない」と「こうならいいな」の混同
  4.   願望を強迫観念としてしまい区別できない。
      例えば、「みんなに好かれたいな」という願望を、
      「誰にでも好かれなくてはならない」という強迫観念にしてしまっている。

     

  5. 過去の経験からの持ち越し苦労
  6.   現在の状況を正しく判断せず、過去はこうだった、前はこうなったと、
      過去にとらわれて推論する結果、今の結果をすり替えている。

     

  7. 取り越し苦労
  8.   未来に起こるさまざまな憶測を想定して悩み、実際は起きない事柄を、
      起きるかもしれないと苦悩している。

     

  9. 不当な過度の一般化
  10.   自分の今までの経験を元に不当な一般化をして、極端な「結論」を出している。
      例えば、職場で○○県出身者が嫌な人だった、隣の迷惑住人が○○県出身者だった
      というたった2人の印象から、○○県出身者はダメ人間と結論付け、嫌がる。

     

  11. 可能性を奪う思考(断定)の回路
  12.   どうせ・・・という思考により、すべての可能性を奪う無気力な思考状態。
      どうせ、私はダメだから。どうせ夫は背が低いから・・・とすべての可能性を抹消する
      ディスカウントを行っている状態。

     

認知への正しい働きかけの方法

心理カウンセラーにもとに出向き、論理療法をしてもらうのはいい方法です。
しかし、出向くことさえ出来ないほど苦悩する場合もあったり、
その逆で、出向くほどではない場合もあるかと思います。

 

その場合の、自身で認知への働きかけを行う方法をご紹介いたしますので、
心がどうしても晴れないとき、どうぞ、下記の方法を試してみてください。

 

ポジティブになる方法

 

心の状態がネガティブになったとき、その受け取り方に “反論” を行います。

 

(例)
出来事 : 飲み会でうまく話すことができずに、場をしらけさせてしまった。

 

受取り方: 飲み会の席をしらけさせてはいけない。もっと面白い話をすべきだった。

 

結果   : 私なんていないほうがいい。私は誰からも愛されることなく、必要ともされない。

 

反論   : みんなが静かになったのは、本当に私のせいだろうか?
        私はお笑い芸人ではないし、変な事は言っていないではないか?
        次回、ちゃんと受け答えができるようにすればいいではないか?
        場をしらけさせることは、それほど重大なミスなのだろうか?
        人に嫌な思いをさせたわけではないし、単に面白くなかっただけではないか。
        今後呼ばれなくても、付き合える人は、彼らがすべてではない。
        合わない場所に無理に参加しなくても良くなった。他に時間を使える。
        世の中には、友達になれる人はまだ他にも多くいるではないか。

 

一例ではありますが、このように反論することが可能です。

 

また人は、どうしてそこまで悩む必要がある?と思えることで、ひどく悩む場合も多々あります。

 

小学生のころ、学校の花壇の花を摘んで、それを誤って踏んづけてしまった男子がいました。
それを見ていた正義感の強い女子が、「あー、いけないんだ。明日先生に言うから!」
と言い出し、怖い担任の先生に怒られるのが恐怖で、その男子はひどく怯えていました。

 

その男子は、家に帰ってもずっと悩んで、自分の犯した“罪”を誰にも言わぬまま苦悩したのでしょう。
次の日の彼は、胃がやられたのか浅黒い肌をして、女子がいつ、先生に言いつけるのか、
もはやこの世の終わりのような顔で見つめていました。
出典hk.apple.nextmedia.com
しかし、大人になって考えると、それは人生における重大な過ちではありませんし、先生がそれに
対してそこまで怒ることもなければ、親を呼びつけるということまでしない失敗です。

 

事実、女子が先生に話しても、先生は「そうか、ダメだぞ、花は大事なんだから。気をつけろよ」
くらいで終わりました。確かに注意はされましたが、それは子供が考えるほどの大罪ではなかったのです。

 

そのときは真剣に悩み、苦しんでいたとしても、他人から見ると、それほど悩むことではない、
ということはあります。

 

そのため、それを確かめる為に、誰かに話すということも、またよい方法ですので、お試しください。

 


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